中国硯の歴史

前漢時代の硯は平板で磨石を伴っています。

というのも、墨が固形ではなく軟剤で、硯面上で磨石によって磨りつぶしていたことによるようです。

後漢時代には、墨堂や墨池のある硯が出始めました。

晋代から六朝時代になると、出土される硯は陶磁硯が多くなり、三足円台硯が主になってきます。

その他、方形四足石硯も出土していますが、墨堂は円形です。

六朝時代の出土した硯には、多獣脚円形磁硯がかなり多くなりました。

灰釉(かいゆう)・青緑釉のかかったものが多いです。

六朝末期あたりから北方系に箕形陶硯があり、隋・唐代にまで続きます。

これは少しづつ形を変えながら、斧形硯・風字硯などへと発展していきます。

唐代には出土硯には陶磁硯が多く、三彩釉多足式円台硯・箕形陶硯・亀形陶硯などがあります。

この頃には端渓硯歙州硯も採掘されていたようです。

宋代では唐代で産出した端渓硯の採掘量も増えてきました。

この頃の出土したものも中に太史硯も見られるようになりました。

南唐時代に採掘され尽くした歙州硯は、この頃新たな良坑が見つかったことで採掘量が増えています。

黄河の上流ではとう河緑石が採掘されましたが、洪水によって硯坑が失われ産出が止まりました。

澄泥硯陶硯の出土量も多いです。

元代の硯の発掘としては、石暖硯があります。

双硯になっており、硯底には窯形の空洞があり、その空洞で加熱した痕跡があります。

寒気が強く、温める必要があったようです。

明代では老坑が開かれました。

清代では老坑はさらに深く掘り進められ、東洞・西洞・大西洞・水帰洞などで水巌良材が多く出ました。

松花江緑石が採掘されたのもこの頃です。

和硯の歴史

日本では平安時代あたりまで、ほとんど陶硯が使われていたようです。

中国で硯文化が花開いたのに対し、日本では硯に対する関心が高まらず、室町時代の終わりごろになってようやく石の硯を作り始めましたが、実用の域を出ないものでした。